回顧録にもならないもの

そうそう、やかんでお湯を沸かしたときの匂いが好きで、意味もなく火にかけていたっけ。

今日もやかんと灯油ランプで一日の締めくくりをすることにした。

 

ひとりで歩く街も、ひとりで入るお店も、ひとりで読む本も、全部愛しさと寂しさが混在してて、その隙間に何かしらがあったのかもしれないな、なんて。

どこを歩いたってどこに行ったて自分は自分で、特に何の味付けも尖りもないあまりに凡庸な自分で、そんなのを大切に抱えてきた。

 

彼方に投げたあれやこれが全部身に降りかかってきて四肢が爆散する現象に名前をつけるとしたら、自業自得がぴったり。

 

誰に見せることもない駄文を書くんだから、これくらいの意味の無さや生産性の無さは許されてもいい。

 

これは自分で自分を許し労うための文章だから。

 

何をするにも丈が足りないのに、窮屈だなんて、言葉をかけろなんて甘えだ。

 

隠れながらいつも一人、それは当然