回顧録にもならないもの
そうそう、やかんでお湯を沸かしたときの匂いが好きで、意味もなく火にかけていたっけ。
今日もやかんと灯油ランプで一日の締めくくりをすることにした。
ひとりで歩く街も、ひとりで入るお店も、ひとりで読む本も、全部愛しさと寂しさが混在してて、その隙間に何かしらがあったのかもしれないな、なんて。
どこを歩いたってどこに行ったて自分は自分で、特に何の味付けも尖りもないあまりに凡庸な自分で、そんなのを大切に抱えてきた。
彼方に投げたあれやこれが全部身に降りかかってきて四肢が爆散する現象に名前をつけるとしたら、自業自得がぴったり。
誰に見せることもない駄文を書くんだから、これくらいの意味の無さや生産性の無さは許されてもいい。
これは自分で自分を許し労うための文章だから。
何をするにも丈が足りないのに、窮屈だなんて、言葉をかけろなんて甘えだ。
隠れながらいつも一人、それは当然
寄せ書き
5年ほど前に書いていたブログを読み返したら、そこでも彼女に関することを書いてあって自分で引いたんだけど、これほど長い間ファンでいられた芸能人なんていなかったなって。
なんでと言われればたくさん理由があるような、そうでもないような、曖昧なのだけど、自分の中ではそれくらいの力を持っていた人だった。
知ったタイミングも大きくて、いろいろと悩んでいたときに元気をもらったり、暇を潰させてくれたり、有り体に言うと日々の楽しみをもらっていた。
でも、卒業が寂しいわけじゃないのは不思議、ではない。芸能界まで引退してしまう彼女に対して、「らしいなあ」って思うし、有難かったなって感情があるくらい。
この件に関して彼女の気持ちに関する考察やアイドル論を語るなんて無粋だし、そもそもどうでもいい。
別にCDと雑誌くらいにしかお金を落としていなかった奴のことをここまで楽しませてくれて、ありがとうございました。
最期のときまで、そしてその先もどうか健やかで。
テストテスト
あー、テステス。
何年かぶりにブログを開設したよ。
「文章をしたためるのが好きな人の気持ち」がわかるようになることを目標としています。
何について書くかも決めていないんだけれど。
特に書くこともないんだけれど。
職業柄縛りのある文章を書くことが多いので、あんまり文法や形式にこだわらないようにしたいな。
これは予防線ではない。